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東京高等裁判所 昭和40年(う)725号 判決 1965年7月19日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一年六月に処する。

原審における未決勾留日数中六〇日を右本刑に算入する。

理由

(当裁判所の判断)

一  後藤弁護人の控訴趣意第一点のその一について。

所論は、原判決に法令適用の誤があると主張するもので、すなわち

(一)  原判決は原判示第一の二(2)のような事実を認定し、被告人が恵美子らの死体を押入内に放置したまま敏子の室を退去したことをもつて死体遺棄罪に問擬しているが、被告人の当時の心境としては、驚愕のあまり前後の判断もなく一途に敏子と一緒に死ぬことによりすべての償いができると思いこみ、死体を遺棄するという意識よりも死んだ二人のところへすぐ飛んで行くという気持で一杯であつたといわざるを得ず、又死体を自室の押入れ等に隠匿する所為は現在においてはこれを処罰する規定はないから、葬祭の義務がないと認むべき敏子がその後自室を離去することになつたからといつて刑法第一九〇条の死体遺棄罪に該当すると解すべきいわれはないので、この点に法令適用の誤があり、これを前提とした被告人に対する原判決の事実摘示「その死体を遺棄した犯人であることを知り」にも法令の解釈を誤つた違法がある。(二)被告人は単に敏子が死体を押入れ内に隠匿していることを認識しながら、その場を離去したに過ぎないのであつて、要するに本件は死体に何ら場所的移転を加えず、単なる離脱という不作為による遺棄の事案であるから、被告人に条理又は慣習上両者の死体の葬祭をなすべき義務があるとしても、それをもつて直ちに死体遺棄罪が成立するとなすべきではなく、かような場合には、従来の判例の趣旨からすれば、自ら刑法上有責に死の結果を招いたその死体が目前にあるという事態からの離脱という要素を伴つた場合にのみ死体遺棄罪の成立が認められるべきであり、しかも被告人は両者の死について何ら刑法上有責な加担又は加功行為をしていないから、原判決が被告人の所為をもつて死体遺棄罪に問擬したのは法令の解釈、適用を誤つたものであるというのである。

よつて審究すると、

右(一)の所論については、後述するように両者の死体について葬祭の義務があると認められる被告人がその義務を懈怠して死体を放置してその所在場所から離去すれば、死体遺棄罪を構成するものといわなければならないのであつて、原判決もまたこの趣旨に出たものであり、被告人の当時の心境が所論のようなものであつたとしても、それは単に情状に関する問題に過ぎず、そのために同罪の成立を否定すべき理由はない。又、原判決が被告人に死体遺棄罪の成立を認めたのは、葬祭の義務のある被告人が死体を放置してその所在場所から離去したという事実に基くのであつて、決して敏子の死体遺棄罪の成立を前提としているのではないから、仮に敏子に死体遺棄罪の成立がないとしても(当裁判所としては、原判決がとくに説明するように敏子に死体遺棄罪が成立するものと考えるものである。)、そのために被告人の死体遺棄罪の成立が否定されるものではない。所論は採用できない(原判決は、所論のように被告人に対する事実摘示として「敏子が恵美子らを殺害しその死体を遺棄した犯人であることを知り」と判示して敏子が殺人及び死体遺棄の罪を犯した者であることを被告人が知つていたとしてとくにその犯意を明らかにする意図に出たものであつて、原判決が敏子の死体遺棄罪の成立を前提として被告人の死体遺棄罪を認めた趣旨でないことは原判決の全文を通読すればおのずから明らかである。)。

前記(二)の所論については、従来の判例によれば、死体遺棄罪は葬祭に関する良俗に反する行為を処罰するのを目的とするものであるから、法令又は慣習により葬祭をなすべき義務のある者が、葬祭の意思なく死体を放置してその所在場所から離去する場合には、たとえみずから刑法上有責にその死体の死の結果を招いたものでないとしても、死体遺棄罪を構成するというにあると解せられるのであつて(大審院大正六年一一月二四日判決録二三輯一、三〇二頁、大正一三年三月一四日判例集三巻二八五頁)、原判示の恵美子及び富美子の両名は被告人の妻子であるので、被告人は慣習上これらの死体の葬祭をなすべき義務のあることは明らかであるから(右大正六年の判例参照)たとえ本件の死体について被告人がみずから刑法上有責にその死の結果を招いたものでなく、又その死体について何ら場所的移転を加えたのでないにしても、右死体が他人の宅の押入れに隠してあることを知りながら葬祭の意思なくこれを放置してその場所から離去した被告人の所為に対し、原判決が死体遺棄罪をもつて問擬したのは正当という外はなく、所論の死体遺棄罪に関する従来の判例についての解釈は誤つた独自の見解に基くものであり、所論は採用の限りでない。

二  後藤弁護人の控訴趣意第一点のその二及び稲本弁護人の控訴趣意中「原判決第二(「第一」の誤記と認める。以下同じ。)の二の所論はいずれも被告人は官憲に自首したと認められるにかかわらず、原判決が自首したとは認められないとして刑法第四二条第一項の規定を適用しなかつたのは違法であるというものであるが、仮に被告人の所為が自首にあたるとしても、自首はいわゆる刑の裁量的減軽事由に過ぎないのであるから、この点についての誤認は刑事訴訟法第三八二条の事実誤認には該当しないので(大審院大正一五年六月七日、判例集五巻二四五頁等参照)、原判決が自首を認めなかつたことを事実誤認の問題としてとり上げその当否をとくに説明すべき限りではなく、又原判決が刑法第四二条第一項による刑の減軽をしなかつたことをもつて法令適用の誤とすることもできない。もつとも、被告人の所為が自首にあたるとの主張は量刑不当の主張とはなるのであるから、この点については後述の量刑不当の主張に対する判断の個所で併せて判断することとする。

(その余の判決理由は省略する)(足立進 栗本一夫 浅野豊秀)

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